体験 part1
- 2013.11.30 Saturday
- 23:55
JUGEMテーマ:日記・一般
親愛なるみなさんこんばんは
今朝は、毛穴がキュッと引き締まるような澄んだ空気で…。
空気を胸いっぱい吸いたくて思わず深呼吸しました。
これくらい(もうちょっと寒いくらい)が、私には丁度好いです
寒ければ寒いほど、元気になれます
もうじき札幌では、雪像作りが始まります、ね
さて、今日から、今まで頂いた数々の体験を書かせて頂きたいと思います。
出来るだけ順を追って書きますが、体験によっては順不同になります。
私の実家が御つながりさせて頂いたのは、昭和51年、5月23日の日曜日です。
その数年前に御つながりしていた祖母に、母が導かれ、旧札幌支部で、私の弟の安産御祈願を頂くために、御神体御札を頂きました。
霊波96年、5月23日に札幌中央実践者センターが、旧札幌支部の跡地に落成いたしました。
日曜日だったのですが、奇しきも御つながりした日も日曜日だったと、母から教えてもらいました。
3年前の4月には、主人の転勤で仙台に引っ越してきていたのですが、母から、落成記念に是非帰ってきたら?と言われ、とんぼ返りで落成式典、祝賀会に参加させて頂くことができました。
その時、二代様の、当時の札幌支部での貴重な御写真が、何枚も飾られていて、ブログではちょっと伝えづらいのですが、一言で言えば、大変感慨深く、この御方に心底ついていかなくてはと、心から思ったものでした。
話しを戻します。
一番最初に、我が家で御力を頂いたのは、父親です。
当時、父は信仰には大反対で、俺が神だと言ってました。
ところがその父が、御つながりしてすぐ、椎間板ヘルニアが、治ってしまいました。
父のヘルニアは重度で、手術しかないと言われていたそうです。
高校、大学と、スキーに明け暮れたために、腰はぼろぼろだったそうで、痛みを騙し騙し生活していました。
よく、子供の頃に、父の背中に乗ってとんとん歩いてあげるとマッサージになって気持ちよくなるようで、兄か私でやってあげていた記憶があります。
それでも今思うと、相当ひどかったみたいです。
御つながりして、その痛みが全くなくなっていたのですが、たった一度だけ、出てしまったことがあります。
御つながりして、15年くらいたった頃のことだと思います。
祖母が遊びに来ていて、何かしら、教会の話になり、その時、父が一言、母にむかって、「お母さん、教会のことは少し控えてね」ほどほどにね、みたいな事を言ったのです。
父もその頃には、随分と協力的になり変わらせて頂いていたのですが、当時、母は朝から晩まで布教、会合、ご奉仕と休む間もなく出させて頂いていたので、思わず出てしまった言葉のようでした。
ところが、その言葉を言ったか言わないかのうちに、突然ガタッと、椅子から転げ落ちたのです。
父は人を驚かせるのが大好きな人なので、またふざけてわざとやっていると思い、皆で笑っていたのです。
ところが、父の顔が青ざめてきて、だめだ、立てないと言い、二階の自分の書斎に行くのに、階段を這うようにして上っていきました。
その後、すぐに病院に行きましたが、病院では、ヘルニアは完治しています。突然の痛み、歩行困難は原因不明とのことで、すぐに帰されてしまいました。
その日のうちに、痛みもなくなりいつも通りの腰に戻りました。
が、その時母から、「お父さん、本当は御守護神様に御力頂いていなかったら、あんな姿でいなきゃいけなかったんだね。ほどほどって言葉は一番言ってはいけなかっったね。」と言われ、父は深く反省したようでした。
その時一回きりで、御つながりさせて頂いてから、今まで37年間、大変元気に過ごさせて頂いています。
父は来年71歳ですが、昨年健康診断の時に、お医者さんから褒められたそうです。いったいどんな食生活をしているのか、逆に教えてほしいと。
毎日、朝晩の犬の散歩で、走り回ってます。 長い冬の雪かきも、へっちゃらで全部一人でやって、隣の家の道までもできるほどすこぶる元気です。
父の口癖は、「感謝、感謝、御守護神様に感謝だね」と、いつも言っています。
今年もまた、雪像作りのご奉仕でダンプカーでの雪かきに、張り切って参加することと思います。
御守護神様、二代様、ありがとうございました。
それでは、また来週、笑顔の心でお会いできますように
仙台支部 青年部 春風
親愛なるみなさんこんばんは
今朝は、毛穴がキュッと引き締まるような澄んだ空気で…。
空気を胸いっぱい吸いたくて思わず深呼吸しました。
これくらい(もうちょっと寒いくらい)が、私には丁度好いです
寒ければ寒いほど、元気になれます
もうじき札幌では、雪像作りが始まります、ね
さて、今日から、今まで頂いた数々の体験を書かせて頂きたいと思います。
出来るだけ順を追って書きますが、体験によっては順不同になります。
私の実家が御つながりさせて頂いたのは、昭和51年、5月23日の日曜日です。
その数年前に御つながりしていた祖母に、母が導かれ、旧札幌支部で、私の弟の安産御祈願を頂くために、御神体御札を頂きました。
霊波96年、5月23日に札幌中央実践者センターが、旧札幌支部の跡地に落成いたしました。
日曜日だったのですが、奇しきも御つながりした日も日曜日だったと、母から教えてもらいました。
3年前の4月には、主人の転勤で仙台に引っ越してきていたのですが、母から、落成記念に是非帰ってきたら?と言われ、とんぼ返りで落成式典、祝賀会に参加させて頂くことができました。
その時、二代様の、当時の札幌支部での貴重な御写真が、何枚も飾られていて、ブログではちょっと伝えづらいのですが、一言で言えば、大変感慨深く、この御方に心底ついていかなくてはと、心から思ったものでした。
話しを戻します。
一番最初に、我が家で御力を頂いたのは、父親です。
当時、父は信仰には大反対で、俺が神だと言ってました。
ところがその父が、御つながりしてすぐ、椎間板ヘルニアが、治ってしまいました。
父のヘルニアは重度で、手術しかないと言われていたそうです。
高校、大学と、スキーに明け暮れたために、腰はぼろぼろだったそうで、痛みを騙し騙し生活していました。
よく、子供の頃に、父の背中に乗ってとんとん歩いてあげるとマッサージになって気持ちよくなるようで、兄か私でやってあげていた記憶があります。
それでも今思うと、相当ひどかったみたいです。
御つながりして、その痛みが全くなくなっていたのですが、たった一度だけ、出てしまったことがあります。
御つながりして、15年くらいたった頃のことだと思います。
祖母が遊びに来ていて、何かしら、教会の話になり、その時、父が一言、母にむかって、「お母さん、教会のことは少し控えてね」ほどほどにね、みたいな事を言ったのです。
父もその頃には、随分と協力的になり変わらせて頂いていたのですが、当時、母は朝から晩まで布教、会合、ご奉仕と休む間もなく出させて頂いていたので、思わず出てしまった言葉のようでした。
ところが、その言葉を言ったか言わないかのうちに、突然ガタッと、椅子から転げ落ちたのです。
父は人を驚かせるのが大好きな人なので、またふざけてわざとやっていると思い、皆で笑っていたのです。
ところが、父の顔が青ざめてきて、だめだ、立てないと言い、二階の自分の書斎に行くのに、階段を這うようにして上っていきました。
その後、すぐに病院に行きましたが、病院では、ヘルニアは完治しています。突然の痛み、歩行困難は原因不明とのことで、すぐに帰されてしまいました。
その日のうちに、痛みもなくなりいつも通りの腰に戻りました。
が、その時母から、「お父さん、本当は御守護神様に御力頂いていなかったら、あんな姿でいなきゃいけなかったんだね。ほどほどって言葉は一番言ってはいけなかっったね。」と言われ、父は深く反省したようでした。
その時一回きりで、御つながりさせて頂いてから、今まで37年間、大変元気に過ごさせて頂いています。
父は来年71歳ですが、昨年健康診断の時に、お医者さんから褒められたそうです。いったいどんな食生活をしているのか、逆に教えてほしいと。
毎日、朝晩の犬の散歩で、走り回ってます。 長い冬の雪かきも、へっちゃらで全部一人でやって、隣の家の道までもできるほどすこぶる元気です。
父の口癖は、「感謝、感謝、御守護神様に感謝だね」と、いつも言っています。
今年もまた、雪像作りのご奉仕でダンプカーでの雪かきに、張り切って参加することと思います。
御守護神様、二代様、ありがとうございました。
それでは、また来週、笑顔の心でお会いできますように
仙台支部 青年部 春風